ノモア

no more, no less

違法行為があっても尊重される「クラブを楽しむ権利」ってなんだろう?

 クラブについての会話

A「なんでクラブはダメなの?」

私「ドラッグや売春などの違法行為が横行しているからじゃない?」

A「確かにそうなんだけど」

私「全体をみれば一部だけどクラブでドラッグやっている人がいなかったことないよ」

A「そりゃ其処かしこにいるよ。でもそれってクラブに限ったことじゃないよね?」

私「理屈ではそうだけど、クラブでは高確率で見かけるよ」

A「それは包丁で人を刺せるから包丁とりあげろって論理なんだよね」

私「人が集まる場所が全てクラブのようになるわけじゃないよ。温床化しやすい理由があるんじゃないかな?」

A「それはクラブ差別だよ」

私「じゃあ、お酒を禁止するとか、フロア明るくしてカメラ付けるとか・・・」

A「お酒もフロア明るくするのもダメ。それが楽しいんだから」

私「それなら無くすしかないんじゃない?」

A「朝まで営業してるから摘発されているだけで、警察はそこまで考えていないって」

私「読んだ記事には、複合的な違法行為について警察も問題視しているとあったよ」

A「本当にそうかな・・・」

私「オープンな状況なら違うだろうけど、それはそれで騒音問題になるしね」

A「それ本当に誰かの迷惑になっているのかな?」

私「さすがに、夜中や朝方に集団で移動されたら煩いのでは?吐いたりするし」

A「そうだけど、それは居酒屋も同じでしょ?」

私「苦情はあるんじゃない?ただ酒帯集団がいるような場所は主に繁華街だろうけど」

A「なんでクラブだけダメなの?」

私「違法行為がダメなんだよ」

A「うーん」

私「違法行為を許してまで存続させる必要があるとは思えないんだけどな」

A「それは<気に食わないものは排除しろ>って前提なんだよね」

私「違法行為がなければ、音楽を楽しむのも踊るのも自由だよ」

A「車は人を撥ねて危険だから排除しろっていうのと一緒だよ」

私「車も、構造に問題があるなら改善すべきなんじゃないかな?」

A「いや、もう排除が前提にあるから言っているんだよ」

私「お酒がないと音楽を楽しめない?フロアが暗くないと踊れない?なんで?」

A「必要かどうかは関係ないよ、権利だから。自由は憲法で保障されている」

私「それだと、最終的にはドラッグも売春も問題ないって論理にならない?」

A「そうだよ!何も問題ない」

私「ドラッグや売春を許すために、法律や社会規範やら大改正しろってこと?」

A「権利だから。わかった?」

私「・・・とにかく問題を解決したらいいんだと思うよ」

 

 

なぜ会話が噛みあわないのか

A氏の言う、『悪いのは箱じゃない。それを悪用する人の問題だ。』という論理にも一理あります。

 

ネットを犯罪利用する人がいるからって、全てのユーザーに利用規制がかけられたりしたら、それはちょっと違うんじゃないの?と思いますよね。

マナーの悪い一部の人のせいでライブが行えなくなり、ドームが閉鎖されたら納得がいきませんよね。

 

でもそれは個別に判断すべき問題です。

 

クラブの場合をみても、全ての店舗が摘発されているわけではありません。

違法行為がある店舗だけです。

ネット犯罪もライブマナーも、その問題がある部分をピンポイトで取り締まればいいのです。

明らかに構造に欠陥があるなと思われるものについては(未成年者への対応等)、法的規制が必要になりますが。

 

違法行為によって稼いだ金は次の違法行為を作る資金にまわりますから、現実問題として取締りは必須です。

 

「ダンス文化」守りたい クラブが自主ルール準備  :日本経済新聞 

 

これまでクラブは、法改正の中で度々正常化を求められてきました。

一気に摘発してこなかったのは「私的自治」を考慮してきたからです。

でも自分達の力だけでは何十年かけても正常化できませんでした。

 

『密室性(閉鎖的空間)』はクラブにおける魅力の1つです。

A氏が言う「酒・暗がり」も、『密室性』を高める要素です。 

しかし、『密室性』は犯罪を助長します。

暗い場所では死角が多くなるため犯罪が起きやすくなりますし、そこに密室性が加わると、隠蔽しやすくもなります。

また、外部の監視(同類以外の目)が無いので、体裁を取り繕う必要性が下がります。

自分が巻き込まれない限り、見て見ぬふりする方がリスクを低くおさえられるのです。

 

もちろんそれは長い目で見れば損を招きます。

その損が現在の取締り強化です。

 

でも、自業自得といってしまうには少し可哀想な部分もあると思います。

クラブのような移り変わりの激しいカルチャーでは、危険をおかしてまでクラブを守ろうというユーザーは限られているからです。

だからといって風営業者に期待して客を間引かせるのは無理です。

ではDJが結集して店を出したらどうかといえば、誰かが酔っ払いにドラッグを与えてしまえば一発で終わりです。

 

しかし今の閉鎖的なスタイルで営業を続けていくのは無理です。

違法行為が許されるほど社会貢献度の高い存在でもありません。

 

 

『クラブを楽しむ権利』ってなんだろう?

A氏の言った「権利だから」というフレーズが気になりました。

突っ込みたいわけではなく、最近よく聞く主張なので、具体的にはどういうものなんだろう?と思ったのです。

 

憲法の『基本的人権』は、国に課す規定であり国対個人の場合に適応されるものです。

 

また、この「基本的人権」を元に私人が一方的に権利行使することはできません。

「好きだ」というのが許されるなら、「嫌いだ」も同等に許されるからです。

一方の権利だけが尊重されることはありませんし、あってはいけません。

 

私の疑問は、A氏がいうような『私人間で行使できる自由権利』があるのかどうかという点です。 

 

基本的人権の解釈は色々とあるようですが、無知なのでまずはWikiをみてみました。

 

  • 包括的基本権
    • 幸福追求権
      • 喫煙権(第13条)
    • 法の下の平等(第14条)
      • 一切の差別行為の禁止、貴族制度の廃止、栄典への特権の否定(第14条)
      • 家族生活における両性の平等―家制度と家父長制の否定(第24条)
      • 選挙権の平等
  • 自由権(国家からの自由、恐怖から免れる権利(前文))
    • 精神的自由権(精神の自由)
      • 内面的精神の自由
        • 信教の自由(政府による国教指定の禁止、政教分離 (第20条第3項))
        • 思想・良心の自由(特定の信仰・思想を強要されない、また思想調査をされない権利 (第19条、第20条、第21条))
        • 学問の自由―大学の自治保障(第23条)
      • 外面的精神の自由
        • 表現の自由(第21条)
        • 集会・結社の自由(第21条)
        • 通信の秘密(第21条)
    • 経済的自由権(経済の自由、経済活動の自由)
      • 居住・移転の自由(第22条)
      • 移動・国籍離脱の自由―外国移住の自由(第22条第2項)
      • 職業選択の自由―営業の自由(第22条第1項)
      • 財産権の保障―財産権(第29条)
    • 身体的自由権(人身の自由)
      • 奴隷的拘束及び苦役からの自由、刑罰執行以外の意に反する使役禁止(徴兵の否定)(第18条)
      • 法定手続の保障(第31条)
        • 現行犯逮捕以外での、令状なき拘束・逮捕の否定(第33条)
        • 令状なき捜索・押収の否定(第35条第2項)
        • 住居の不可侵(第35条)
      • 公務員による拷問・残虐な刑罰の絶対禁止(第36条)
        • 黙秘権の保障
        • 自白の強要禁止とその証拠能力否定(第38条)
      • 刑事裁判の公開原則と刑事被告人の権利(第37条)
  • 社会権(国家により欠乏や抑圧から免れる権利(前文))
  • 参政権
  • 国務請求権・受益権
    • 請願権・陳情
    • 裁判を受ける権利(第32条
    • 刑事補償請求権(第40条)
    • 国家賠償・補償請求権(損害賠償請求権・第17条)
    • 直接請求権
      • 条例の改廃・新規制定
      • 解職請求(リコール)
      • 監査請求
    • 不当な収用・強制拠出の否定(第29条)
  • 平和的生存権(前文第二段落及び第9条を根拠に主張する説がある)

 

これ以外にも権利を求められているものは細々とあるようですが、大まかにはこんな感じみたいです。

 

一番それらしいのは『自由権』ですが、やはり国対個人に適応されるものです。 

自由権は、基本的人権の一つであり、国家から制約ないし強制されずに、自由に物事を考え、自由に行動できる権利のことをいう。

 

法の下の平等』 も国対個人です。

国民1人1人が国家との法的権利・義務の関係において等しく扱われなければならないという憲法上の原則のことである。日本においては憲法第14条に規定がある。

 

『幸福追求権(第13条)』もやはり私人間の規定ではありません。

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

そこで出てくるのが、『私人間効力』 です。

本来、憲法は国に課す規定ですが、これを私人間にも適応させようという考え方です。

 

『私人間効力』 には、<間接適用説>と<直接適用説>とかがあります。

<直接適用説>は、個人にも国と同じように憲法規定を守らせようとするものですが、『私的自治の原則』を侵害する為、現在は間接適用説>が用いられています。

既定の趣旨・目的ないし法文から直接的な私法的効力をもつ人権規定を除き、その他の人権については、法律の概括的条項、とくに、民法90条のような私法の一般条項に、憲法の趣旨をとり込んで解釈適用することによって、間接的に私人間の行為を規律すべきである

 

憲法を私人間に適応する場合は、直接そのままを守らせるのではなく、民法民事訴訟法などを介して適応していきましょう、ということです。

とはいえ、間接適用されるのは、大抵が企業や団体です。

 

概念としては、

「企業や団体は個人に対して国が持つのと変わらない強い力をもっているので、間接的に憲法を適応する」

ということです。

 

個人対個人といった私人間ケースに関係してくるのは、民法90条「公序良俗」や「不法行為による損害賠償」などでしょうか。

 

「公序良俗」とは、善良な風俗を乱すことは許さないという規定ですが、適応範囲がかなり広いです。

 

私人間効力-直接適用説、間接適用説 | 日本国憲法の基礎知識

 

しかしながら、ここまでみても『クラブを楽しむ権利』が何によって保障されているのかピンときません。

それどころか、公序良俗の観点からクラブの存在を否定することはできそうです。

 

 

自然権

自然権は、自然人は生まれながらにして自由であり皆人権を有している、という考え方です。

 

でも『自然権』によって自由権利を主張するのは大変難しいです。

なぜなら、国や宗教によっても価値観は変わるからです。

個人が何を尊重するかは自由ですが、それを揺るがしがたい権利(他人に強制できるもの)とするには、他者の信仰心などに食い込んでいく必要があります。

たとえば、人よりも神様や大義の方が尊いとしている人達に対する人権行使は容易くありません。

日本人からしたら「そんなことで人を殺すなんて」と思う教典があったとしても、否定すればそれを信仰している人の『自然権』を犯すことになります。

 

自然権』を活用するためには、ある程度の共通ルールが必要になってくるということであり、突き詰めて考えてみれば、それは憲法や法律と何ら変わりありません。

 

 

権利の強弱関係

憲法が間接適応される場合、誰かが「やめて」「いらない」といったら、そちらの方が権利として強くなります。

 

A氏は、

「煙草もヤメロと言われたらやめなきゃいけなくなるんだよ?権利を奪えば奪われる」

といっていました。

 

確かにそういったこともあります。

でも、タバコに限っていえば、「喫煙権」があります。

嫌煙権』というのもありますが、同時に発生すれば相殺されます。

相殺というのは、たとえば「分煙」なのです。

喫煙権・嫌煙権共に趣向の話の範囲なので権利といえるほどのものではありませんが、それ以外の決着はどちらか一方に対する権利侵害になります。

 

私は吸わない。けれど「嫌煙権を振りかざすのはいじめです」 | 愛煙家通信 Web版 - 喫煙文化研究会

 

しかし、そもそもクラブは風営法の規制対象であり、許可されないと営業できません。

許可された範囲内でなら営業をしても良い、という立場です。

 

それを踏まえて考えれば、「違法行為はあるけど酒飲みながら暗いフロアで朝まで踊りたい」という要望より、それを否定する意見の方が強い権利を持っていることが分かります。

 

最近は『自由権利』について拡大解釈される傾向がありますが、私人間に適応するのは案外難しく(相殺されるため)、もし適応できたとしても優先順位がつきます。

 

たとえば『イジメ』では、「イジメる権利」というのは存在しません。

でもイジメ被害者が加害者を訴える権利はあります。

当たり前ですが、「イジメる権利」と「イジメられない権利」は同権ではないのです。

 

 

私的自治の原則

法律の存在を考える上で重要だといわれているのが『私的自治の原則』です。 

私人の法律関係は、その自由な意思に基づいてなされるべきだという考え方を"私的自治の原則"という。民法の三大原則の一つである。私人間の経済活動などに公人や公的機関は介入すべきではないとし、私人個々の自己責任による自由な意思決定を意味する。ただし、この原則も多分に修正されている。

 

ちょっと分かり難いので、もう少し詳しくみていきます。

 

 

私的自治の原則に含まれる原則

契約自由の原則

"私的自治の原則"は、私人間の法律行為は個人の自由意思によってなされるべきだという法律行為自由の原則を保障する。経済活動の多くは契約をによるので、この原則には"契約自由の原則"も含まれる。

「契約の内容・期間・解消は自由に決められます」

 

団体結社の自由

個は集まり、団体となって経済活動もする。よって私的自治の原則には団体結社の自由も含まれる。

「 団体を作る・加入する・脱退は、自由に行えます」

 
遺言の自由

死後における財産の処分の内容について、原則として遺言によって自由に定めることができるとする"遺言の自由"も含まれる。

「 遺言の内容については任意でどうぞ」

 

過失責任の原則 / 過失責任主義

他人に損害を与えたとき、その損害が故意または過失という帰責性(=わざとまたは不注意という責める点)がなければ、加害者が責任を負わないとする考え方を"過失責任主義"という。過失とは一般人に期待される程度の注意を怠ったことである。

「 ミスで起こした問題は責めないけど、わざとならイカンよ」

ただし、被害者保護の観点から一定の修正もみられ、加害者に故意や過失がなくても損害賠償責任を負うべきとする"無過失責任"を採用する法律・条文もある。(例:製造物責任法

「でも、細心の注意を払うのが前提があるケースについては、 ミスでも許されないよ」

 

 

私的自治の原則の例外

人は本来"私的自治の原則"により自由に法律行為をすることができるが、あまりに自由すぎると弊害もあるので、私権を制限する必要もでてくる。それは民法1条に3つ示されている

 

第1条(基本原則)

1.私権は、公共の福祉に適合しなければならない。

2.権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。

3.権利の濫用は、これを許さない。 

 

公共の福祉

1条1項では、私権という権利そのものが、公共の福祉、つまり社会一般の利益に反するものであってはならないとしている。憲法13条でも「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」という規定がある。

「非常識とされる行為や、公のためにならない行為は許されない」

 

信義誠実の原則

1条2項にあるように、相手方の信頼を裏切ることのないよう誠実に行動すべきであるという原則を「信義誠実の原則」または信義則という。この考え方は、多くの派生原理をうみ、それぞれの原理が自由な私権行使を制限する。 

「他者の信頼を損ねる行為や、不誠実な行為は許されない」

 

権利濫用の禁止

1条3項にもあるとおり、権利をむやみに濫用してはいけないという考え方を「権利濫用の禁止」という。権利を主張することが一見正当にみえることでも、社会的にみて許容できないような場合に、この法理が適用される。

「権利があるからといって濫用したら、その権利は無効ね」

 

 

まとめ

 「国民は、自由及び幸福追求に対する権利が、国との間で保証されている」

けれど、

「非常識であったり不誠実な行為があった場合は、その権利は尊重されない」

また、

「私人間の権利主張やトラブルは、極力自分達で(契約や話し合い等をもって)解決すべきであり、違法行為があった場合に国側が刑法にあてはめて刑罰を与える」

という感じでしょうか。

 

では、これをクラブに当てはめて考えた時、争点になってくるのは「クラブは誰かに不利益をもたらしたり、風紀を乱す存在かどうか」というところですよね。

風紀とは

社会生活の秩序を保つための規律。特に、男女間の交際についての節度。

 

ということですから、体感ある身としては、「クラブは風紀を乱すもの」と言えるとハッキリ言えます。

 

 

極端な話、犯罪が温床化していなくても、クラブが社会秩序に反しているものだと考える人が一定数以上いるなら公共の福祉の反するのでアウトなわけです。

ドラッグや売春は違法ですから、それを肯定する権利は端から認められていません。

 

人も集団も間違いますから、風潮で善悪が決まるのは問題です。

だからこそ、法律くらいは守らないと、と思います。

違法行為が認められるなら、法律によって人権を保障されることもなくなりますから、最低限それには従っていくしかないと思います。

 

法律は変えられるので、納得がいかないのであれば法改正を訴えていくのが妥当です。

そう簡単には変わりませんが、互いの利益を尊重しながら生きているのはクラブ好きだけではありません。

「チャラチャラしている奴等なんて罰してしまえ!」なんて願望をもっている人がいたとしたら、「我慢させられるなんて人権侵害だ!」と言われてしまうかもしれません。

みんな少しずつ我慢をしつつ、協力しつつ、幸福を求めたりシェアしたりしているので、特定の層だけが特権を与えるのは道理としてもおかしいなと思います。