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ノモア

no more, no less

集団がどうというより

子どもにとって集団ってそんなによいものだろうか。 - lessorの日記

 

こちらのブログでは、「集団」の是非について考察していますが、「気になる子」は1人で生きても人の目を盗んで悪いことをしますから、人数はあまり関係ありません。

集団になると、問題点が浮き彫りになりやすいということでしょう。

 

 

集団生活の中で学ぶべきは良識(ルールや善意)です。

ですから、規律のある集団であれば存在意義はありますし、なければ無駄に力を持った集団ということになります。

後者は存在意義が薄いですから、あってもなくてもいいですが、無駄な力を持った集団は有害化しやすいので、無い方がマシかもしれません。

 

「気になる子」の問題は、集団をそそのかすことよりも、その子自身が規律を身に着けていないことです。

規律は習慣によって身に着けていくものですから、1人だろうが集団だろうが、自主性を尊重しすぎればこじらせます。

 

社会性というのは、他人と比べて平均的か、他人の不快感や幸福感をどれだけ敏感に察知して立ち回れるか、ということですから、自分の心と相談していても上手くはなりません。他人が評価することだからです。

 

ブログでは、「気になる子」は前提の家庭環境などに問題があることが多いとしています。だからこそ身に着けるべきものを身に着けていないのでしょう。

 

言ってしまえば、社会性というのは親の人間性が要です。

親がまともなら社会自体から学ぶことはそう多くありません。

人間関係というのは、つまるところ相性であり、どれだけ譲歩するかが鍵だからです。

 

その度合いを学ぶために集団生活が必要なのだといえばそうですが、人ひとりの世界はそれほど広くありませんから、多少の慣れはできても、どうせ全ての人にあわせることはできません。

人と出あう分だけ、嫌な思い出と良い思い出が増えていく・・・それはどんな人生を送っても同じことですし、社会性を身に着けるという訓練を、5歳から始めても、20歳から始めても、出会いをコントロールできない以上、結果は保障されません。

 

身内と他人で異なる部分はありますが、親が社会の中で十分に社会性をもって生きてきたのなら、社会の中で必要なことは家庭の中で教えられます。

身を持って学ぶのは大事ですが、先ほど書いたように、子供の頃から学んでおかないといけない、とまでは言えないと思います。

 

なにせ、子供の頃の出来事というのは、ほとんど忘れてしまいますから。

大人は大袈裟に考えがちですが、自分達だって断片的にしか覚えていないはずです。

影響があるにしても、覚えている部分くらいのもので、1歳の時に行った箱根旅行の経験が何の役にたっているかといえば・・・です。

 

思い出は思い出としてあっていいですが、子供の喧嘩なんて、カラスが林檎つついているのを見かけたくらいの意味しかないように思うんです。

イジメは犯罪ですから見過ごしてはいけませんし、喧嘩も程度によっては対応が必要ですが、少々の悪ふざけなら、そこで何か有効な手を打たなければ犯罪者に育つなんてこともありませんよね。

実際、多くの人が多くの罪を許されながら大人になってきたと思うんです。

 

それよりもずっと、習慣として身に着ける道徳や規律が大事ではないかと思います。

もし培っていかなければいけないものがあるとしたら、そういう「継続」がものをいうものだろうと思います。

 

幼少期のほんの一時期のパーソナリティが後世まで続くなんて信じられません。

それよりも、自覚ができた時に善悪の判断がつくようになっているかどうかの方が、ずっと大事なことのように感じます。

 

「潜在意識を左右するでしょ」という意見もありますが、その手の理屈は、根強く残る『先天性説』にも近いように感じます。

でも、身体が不自由でも行動力のある人はいるし、恵まれた環境に生まれ育ってもスペックを活かせない人もいます。

傾向とか、極論の中では語れても、そういったものに支配されているというには、あまりにも結果にバラつきがあります。

人間の脳は、大半が新皮質であり、新皮質の活用はデータベースがものをいいます。

人間に限っていえば、後天的要素の影響力が強いですし、他の動物に比べると簡単に気質を変えられます。

 

少々話がうねりましたが、「気になる子」については、注意すればいいんだと思います。

家庭の中で学んでいないなら、社会の中で学ぶほかありませんから。

遠巻きにみて、「あの子が腐った蜜柑だ」といってみたところで、何も解決しません。

いつか筆者の目の前からいなくなる日がきても、社会の中で共存していくのです。

 

これが大人相手なら難しいと思います。

注意しにくい立場であることの方が多いですから。

でも、子供相手なら違います。

大人になる前に気づいたのなら、今手を打ってやるべきではないかと思います。

 

例えば、みんなの前で怒らなくても、どんなふうに友達を導いて欲しいか、相談したり、アドバイスを与えることはできるような気がするんです。

子どもの世界に大人が口出しするのは好きじゃありませんが、子供だからこそ歯止めがきかないとか、結果を予測できないということは多々あるわけで、それを知っている大人が何もせず傍観しているだけでは、問題が起きて当たり前です。

程々に導いてやるのが大人の役目だと思います。

 

その子によって方法は異なると思いますが、せっかくのリーダーシップを、「上からの払い下げ」のように扱うのは、如何なものかと思います。