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ノモア

no more, no less

AV演者を拒否するのは差別?

AV女優さんに対する価値観が揺らいだ

 

私がこれまでに聞いた限りでは、AV女優に対しては7:3くらいで「容認派」の男性が多かったです。

 

「AV女優とやってみたい」

「職業に貴賤なし」(←使い方を間違えていますが気持ちはわかる)

「性格とか相性の方が大事」

「単なる差別。差別するやつはクズ」

等々、容認といっても理由は色々ですが、突き詰めて考えると、男性にとってはどうでもいいことなんだろうなって思うんです。

容認すればするほど女性の裸を沢山みれるわけですからね。

 

歴史をみても、男性の性処理に関係するものについては、男性は女性の権利を擁護してくれる傾向があります。

今はまだ女性が役員になることを望む男性はマジョリティではありませんが、そんな世の中でも、「女性に性を売る自由を認めよ」なんて擁護はしてくれるんです。

すべての男性ではありませんが、多かれ少なかれ、こういう傾向はあります。

 

以前、知人男性は「AV女優の何が悪いの?全く問題ない」と言っていました。

しかし、時短労働については、「女が働けば男の仕事が減るんだよ」と否定的な意見でした。

 

おそらく本人は公平な感覚で言っているつもりでしょうが、これって、

「女は男のやらない(やりたがらない・できない)仕事をやれ」

と言っているようなものですよね。

 

また、AV女優の容認というのは、更に突き詰めていくと、「浮気の何が悪いの?」なんて議論に発展する可能性もありますよね。

 

浮気はダメだけど、仕事なら他の人といくら致してもOK、という線引きを、収入の有無で判断することはできませんから。

二股はダメだけど、援助交際ならOKなんて言えないのと同じで、あくまで倫理的な問題です。

個々人の思想は自由ですけど、だったら「拒否」も認められるべきです。

 

法的解釈をもって言うならば、AV女優は致していないはずですけどね。

同時に、プロとしてSEX指南している人などは理屈的にはおかしいわけです。

私的な経験数が多いだけなら、素人でも条件は同じですから。

 

でも、「浮気をしてもいいか」という問いであったら、加害者側(浮気をする側)は賛成しやすい問いだとしても、男性でも嫌だと感じる人はそこそこいると思います。

 

野間さんの “なぜロリコンは セクシャル・マイノリティ ではないか?” がダメな10の理由~前編 - レインボーフラッグは誰のもの

 

例えば、テレビの「障害者」が常に「良い人」であり、不屈の精神で何事にも挑み、不可能を可能する『キラキラした存在』として描かれるというようなことです。

それで人々が障害者に理解を示し、手を差し伸べるということはあるでしょう。

しかし、なぜ障害者は「天使」でないといけないのでしょう。

「マイノリティ」が救われるべき対象として常に都合の良い、相応しく最適な存在かというと、決してそうではないということです。

 

こちらの話は少し主旨が違いますが、「差別」の線引きの難しさは、AV演者も障がい者も同じではないかと思います。

 

ちなみに、「AV女優の何が悪いの?全く問題ない」と言っていた男性は、AV男優については「AVなんか出るのは終わってる奴だよね」と言っていました。

 

差別じゃん!笑、と指摘するのは簡単ですが、実際にAV演者の知り合いがいますが、そこそこパンチのある人間です。

人は環境の影響を受けますから、個人差といって片づけられない部分もあるので、非難も擁護も、偏れば差別ではないかと思います。

 

私は、ずっと特別学級のお世話をしてきました。

何百人も人がいる学校の中で、特別学級の生徒と遊んでいたのは私だけでした。

それと同時に、障がい者に怒鳴られたり、過剰な人権行使をされて嫌な思いをしたことがあります。

 

「公共交通機関に泣く赤ちゃんを乗せることの是非」、みたいな話がありましたけど、その解決方法として、「障がい者と一緒に専用車両に乗ればいい」というような提案を見かけることがあります。

でも、障がい者の中にも、子供の泣き声が苦手な人はいますよね。

 

そういった提案は善意によってされていることが多く、差別をしているつもりはないんだろうと思います。

私もそれを責める気にはなれません。

同じ間違いをしてしまうこともありますし。

当事者にしか分からないことはあって、その当事者の感覚だって人によって違いますから、1人で網羅するのは難しいです。

だからこそ、思想や表現に対しての自由が権利として保護されているのでしょう。

 

とはいえ、(共有)ルールや(良識)モラルなしに、社会を正常化させていくことはできないので、あるていどのマクロ対策というのは必要になります。

 

ではその中で、「浮気」と「AV演者」というものをどう区別するのが妥当か、と考えると、今のところ主観と社会倫理の狭間で捉えていくしかないので、否定的な意見があるのは仕方のないことだと思いますし、だからこそ稼げるのだと思います。

 

容認が強くなればやりやすくはなりますが、抵抗感が下がれば、全体的に性に対して開放的になっていくかもしれません。

タダで性行為をさせてくれる女性が増えれば、AVは今ほど稼げなくなる可能性があります。

ある程度は別物として残るでしょうが、「おひとり様はカッコ悪い」という風潮ができれば、純粋に稼ぐための職業としては存在しにくくなります。

 

少数派だから非難を受けるのが当然だ、ということにはなりませんが、ルールやモラル意識をもって否定側にまわる人がいるのも、悪とは言い切れません。

 

社会的弱者とされる立場の人は非難も擁護もされやすいです。

お金持ちもいるAV演者が弱者といえるかは微妙ですが、差別を受けやすい対象ではあると思います。

でも先に書いたように、質は人によって違います。個人差があるのです。

だからこそ職業で非難してはいけないわけですが、それは擁護も同じことです。

 

権利を認めるということ

忘れていけないのは、誰かの権利を通せば、そのぶん損をする人がいるということです。

差別をなくすのは素晴らしいことです。

1つでも多くの差別がなくなることを祈っていますし、できることをしたいと思っています。

でも、私人間の問題というのは、結局、誰かには皺寄せがいきます。

 

先日、某デパートへ行きましたが、なかなかエレベーターに乗れませんでした。

台数はあるのですが、全機同じ動きをするというアホな設計をされていたのです。

 

やっときた機を3回ほど見送った後、「気長に待つか、最上階に行くかだな」と思っていたのですが、エレガさんの乗った障がい者優先機が開き、どうぞこちらに、と配慮をいただいたので乗りました。

上のレストラン階から乗りましたが、既にその時点で満杯でした。

 

途中階で、車椅子の人が待っていましたが、当然、乗ることができませんでした。

もうデパートの半ばまで降りていましたから、そこからなら私はエスカレーターでも降りれるので、降りて代わりたいと思いました。

でも混み過ぎていて状況的にできず、エレガさんが断るのを申し訳ない気持ちで聞いていました。

 

でもその次の階で、関西弁のおばちゃん4人組が乗り込んできました。

エレガさんは謝って断ったのですが、「もう何分待っていると思っているんだ!」と凄い剣幕で、ギュウギュウの中にギュウギュウと入ってきました。

旅行先で同じことをしている学生やおじさん達がいたので、年齢や性別の問題ではないと思います。

 

少しでも多くの人が乗れるならそれでいいのでしょうが、権利主張ってそういうことだよなって思うのです。

「差別をなくそう」という活動は、「誰の権利を奪うのが妥当か」を探る活動でもあるわけです。

 

シノドス?で、「年金を削って育児支援予算を増やそう!」と書かれた記事を読んだことがあります。

福祉の話しているのに、他人の福祉を削れとは、なんと腐った主張なんだと辟易しましたが、権利云々の話って、本質的にはそういうものなのかもなとも思います。

 

ですから、必要な活動ではあっても、善意の活動とまでいえるかどうかは、事と次第によりけりです。

差別撤廃を訴えていても誰かにとっては「悪者」であることがある、という旨を踏まえた上で、議論などをしていくのが望ましいのだろうなと思います。