遠隔操作事件 片山被告「私が真犯人」と認める NHKニュース
【遠隔操作ウイルス事件】「送信の携帯埋めた」片山被告、「真犯人」メール認める 「死にきれなかった」 - MSN産経ニュース
「死のうとしたが死に切れなかった」「いち早く裁判を終わらせたかった」「サイコパスは自分」「お母さんを安心させることが今回の動機」 - satoru.netの自由帳
PC遠隔操作事件で起訴されていた片山被告が、全件に関与する真犯人であることを認めました。
本件はずっと気にしてきました。
公判の行方や弁護士会見を欠かさずチェックしていました。
状況証拠は彼の有罪性を示していましたが、どんなに黒寄りでもグレーは無罪です。
ウィルス作成罪で起訴できなかった検察が、本件をどのように決着させるか興味がありました。
凶悪な犯罪であるかどうかはともかく、このデジタル社会において、ウィルスが決定的証拠ではなく状況証拠にしかならないというのは、検察を責めるだけでは解決しない問題を生むのではないかと危惧しています。
片山さんが容疑を認めたことで、こちらのブログに似た感想を持った人も少なくないと思いますが、容疑を認める前から彼を犯人だと確信していたなら、それは恥ずべき考察です。
推定無罪が原則であり、結果的に正しかったかどうかは関係ありません。
勝ち負けではありませんし、弁護団も江川さんも正しかったと思います。
擁護も陰謀論も、論拠あってのものなら存在していいと思います。
必要なのは証拠と多面的な考察を積み重ねることであり、結果論で語れば未解決の冤罪は真となってしまいます。
あってはならないことです。
ドラマの犯人当てでさえ、役者を指さすだけでは「正解者」とみなされないように、心象による犯人当ては無能の証です。
擁護も犯人当ても同じですが、重要なのは裏づけです。
全ての裁判が、国民感情の中でも、多面的に、慎重に審議されなくてはいけません。
ただ、本件における一方的な検察批判については多少の危機感をもっていました。
確かに先の4件の誤認逮捕については、供述の取りかたなどに問題がありました。
しかし、無実の人も犯人も、同じように無罪を主張します。
多様化していく犯罪を取り締まるには、供述や動機も必要な証拠のひとつであり、人の戸を開くにはテクニックが必要です。
今あるテクニックが正しいとは思えませんが、批判する時は代替えを用意しなくてはいけません。
ただ手段を奪うだけでは、それこそ泣き寝入りする被害者が増えるだけです。
これは昨今の冤罪問題にもそのまま当てはまると思いますが、自由が求められる一方で、凶悪な犯罪も依然存在します。
9割は本当の被害者でしょう。
表面化しない数を含めれば、もっと割合は上がると思います。
だから1割の冤罪が仕方ないなんてことはありません。
でも、被害者に泣き寝入りさせるというのは、9割の冤罪を作るのと結果的にはそう変わりません。
なぜ1割が救われ、9割が救われないのでしょうか。
国と私人間の力関係が違うというなら、警察などに届けず、自分で復讐した方がいいということになりますよね。
身を守るために被害者の声を奪うのは、正しい方法ではないということです。
今のやりかたに問題があるというなら、代替え案を用意しなくてはいけません。
法整備がされないとできないこともありますが、悩んで考えていくしかないと思うのです。
逮捕自体は私の身にも起こることかもしれませんし、誤認逮捕を防ぐには逮捕をこれまで以上に慎重に行うしかありません。
しかし、世の中にはストーカー事件など含め、時間勝負の犯罪があります。
そういった際には、警察に対して迅速な対応を求める声が高まります。
ケース毎に対応を変えるというのは、形式や主観によって行動するということです。
大元の犯罪が微罪であっても重犯罪に発展することがありますから(痴話喧嘩→殺人など)、それだけでは対応が行き届かないケースが出てきます。
そう考えると、重要なのは「正しい取り調べ」であり、逮捕=犯人という認識の方に問題があるような気がします。
起訴されても、最終的に有罪判決が出るまで、被告人は無罪の立場ですから。
どんなに黒に近くても、本人が容疑を認めようとも、最終的に有罪判決が出るその時まで「彼が犯人だ」と言葉にしてはいけないのだと思います。
本件は既に多くの状況証拠が揃っていますから、自供を尊重できるかもしれません。
しかし一般的な事件では、親が子の罪を被るとか、脅迫されているとか、そういったことは無きにしも非ずです。
実際、本件で起こった先の誤認逮捕でも、無罪の人が「自白」してしまっているわけで、自供だけで判断することはできません。
法律的な規範と、それを除く社会的規範は、それぞれに存在し、影響しあい、社会ルールの両翼なってバランスをとるのが望ましいと思います。
司法の答えだけが全てではありません。
しかし、利害を別にする者が共存しているのが社会です。
互いに権利主張するだけでは相殺されて狂気だけがひとり勝ちします。
公平なバランスを保つには、どこかで線引きや基本原則が必要になります。
それを担っているのが公法や私法です。
答えの中に主観しか存在しない場合、やはり間違いを生む可能性が高くなります。
私は、サイバー犯罪に対する法整備が必要になることや、前回の件で更生していなかった(刑量の妥当性や治療の必要性等)ことの方が、問題としては根深いものがあるのではないかと思います。
また、組織に対する殺害予告を書き込めば刑事罰に問われるのに、片山さんに対して「死ね」という人達は罪に問われず終わるのも、公平性が低いなと思います。