私が高校生の時にも既に「あるある話」でしたし、私自身も何度も痴漢にあいましたから、こちらのブログを読んで、架空の話だと思っている人がいることに驚きました。
性犯罪は圧倒的に泣き寝入りしている人が多いです。
騒ぎ立てると、それ自体が問題行動のように扱われてしまうからです。
会社のセクハラなんかでも同じですよね。
冤罪事件は、この被害者の多さを考慮しなければ解決できない問題です。
私もブログ主さん同様に背が低いです。
150cm無いので、体格差が恐怖感を高めるというのは分からなくもありません。
でも正直、日本人男性の肉体をみて怖いなと感じる機会は多くありません。
男性と相対する(組み合う)と腕の骨の質量だけでも「プラスチックのモップの柄と、樫の木の棍棒」くらいの差があるなと思う。そして筋肉の差もかなりある。
体格の問題だけでいうと、身長の高い女性はこの話から外れてしまいます。
女性の方が太っていたりガッチリしているケースも同じですね。
条件が揃えば女性の方が優位に立てるとは限りません。
非力な男性は力まかせの方法を選びにくいでしょうが、それと悪意は別物です。
恐怖心とは何ぞやと考えると、字の如く「心」の問題だろうと思います。
痴漢に精液をかけられるというのは、見ず知らずの酔っ払いに嘔吐物をかけられるのと一緒ですから、それに対する嫌悪感は少し想像してみれば分かることです。
でも、嫌悪感と恐怖心は違います。
性犯罪の被害女性は、恐怖心を持っています。
相手がチビでも、ひ弱そうでも、恐怖心は芽生えます。
では何が恐怖心の元になっているかといえば、「悪意」や「悪意に変わる可能性のある情動」が怖いんだと思います。
たとえば、好意をもっていない相手から告白されるのが嫌なのは、それを断ったらどうなるか、放置して好意がエスカレートしたらどうなるか等々、色んな感情があいまって「怖い」になっているんだと思います。
男性だって、たとえ女性相手でもストーカーされたりしたら怖いですよね。
人は悪意(又はそれに変わる可能性のある思い)を向けられることが怖いわけです。
怖さの素
私は家の中にいる虫が苦手です。
怖がるほどの相手でないと分かっている時でも、怖いです。
虫に悪意はありませんし、それって何が怖いんだろう?と考えることがあります。
これは私だけかもしれませんが、要は「殺す」のが怖いんです。
何の躊躇いもなく殺せるなら、嫌悪感はあっても恐怖感はありません。
躊躇いが何から生まれる感情かといえば、
汚れるとか、グロテスクだとか、殺生をしたくないとか、色々です。
何かしら殺すことへの抵抗感があるわけです。
これは人間に対しても同じではないかと思います。
悪意ある相手というのは、人を傷つける用意がある人で、狙われる側は無防備です。
狙われる側に用意があるなら、実はそこまで怖くないのではないかと思います。
先攻の精神状態って強いんですよね。
精神的にイケイケなので、怖いものが少なくなります。
たとえば、重い社会問題や凄惨な事件をパロディ化する人達がいます。
そういう人達は、従順にそれを受け止めると怖くて堪らなくなるのかもしれません。
パロディ化は、実害に対するある種の「先手」であり、精神的な防壁なんだろうと思います。
これでいうと、性犯罪被害者に女性が多いのは、人を傷つける用意のある人が少ないからだろうと思います。
女性は何も起こらないことを望んでいる人が多いというか、平和が好きというか。
男性の中には、女性を「ブス」だと言ったりする人がいますよね。
でもそれって何故言うのでしょう?
興味の無い相手なら関わらなければいいだけです。
道行く人や目立つ人をわざわざ批評する必要ありません。
女性は、不細工な男性が歩いていても、
「あいつブサイクだな~」とはあまり思っていないと思います。
女性にとって意味がある異性は好意を持つ相手だけで、興味の無いものは風景です。
男性が意識するよりもずっと女性は男性に興味がありません。
でも男性は、「ブス」だと言ってみたり、「男はネイルに興味が無い」と明後日の方向からカットインしてきたり、ナンパや性犯罪など、色んな方法で女性と関わろうとします。
その感情の全てを否定するわけではありません。
ただそれは先攻の立場にいることが多いということであり、だから傷つける機会も増えるのだろうと思います。
実際、受け身の草食系男性には、女性から口説かれるのを、気持ち悪いとか怖いと感じる人もいるようなので、どちらの立場にいるかで変わるということですよね。
だとしたら、「文句を言われる」「ダメ出しされる」というのは、丁度それで攻撃が入れ替わるということですから、バランスが良いのではないかと思ったりします。
一方の行為だけが無制限に許されるというのは公平ではありませんから。
それをリスクに感じるなら、相手が望む方法でアプローチするのがいいと思います。