読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ノモア

no more, no less

「かわいそう」は親への不満

共働き家庭の子どもは「かわいそう」ですか?(小川たまか) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

こちらの記事に対する私の意見は以下です。

 

私は寂しかったし、相談もし難かったけどな。大人の目がない方が悪いこともしやすかった。共働き賛成だけど、親の愛情が自立を阻むわけではないし、好き勝手やるなら社会に協力を強制するのはおかしいね

 

子供が交通機関で泣く問題も、ベビーカー問題も、この「かわいそう」も、基本的には親に向けられた不満ですよね。

親としての責任を果たしているようには感じない人が多い、ということです。

 

「子は社会の宝」として税金が使われたり、社会に育児支援を求めるのなら、社会からの意見・要望も受け止めなければいけません。

 

また、社会福祉を維持するために子供を産めという思想は、女性に対しても、生まれてくる子供に対しても、非人道的なものだと思います。

 

小川さんの主張は、

社会福祉を支えるために生まれてくる子が可哀想とは限らない。大人がその子を可哀想というから、可哀想な子というレッテルを貼られるんだ」

と言っているのと方向性は同じです。

 

それは正しい感覚でしょうかね?

世の中には、生まれてきたくなかった人もいれば、親を恨んでいる人もいます。

イジメなどの問題を抱えている子もいれば、格差に苛まれている子もいます。

全ての子供に逆説を押し付けるのが正しいとは思えません。

 

20歳になったときに、これからの自分の道は自分の努力次第ということを自覚できる人間であれば、親の子育てはそこで完了していると私は思う。

 

成人した時点でまともな人間なら、その人が虐待されて育とうが関係ないってことでしょうか?

 

まあ、そんなことが言いたいわけでないでしょう。

でも筆者の場合はそうだというだけですよね。

 

親は子供の身体的な世話をする係ではありません。

人は、所作や道徳、愛をまずは親から学びます。

成人時点の人格は、そういった多様な要素の積み重ねの結果です。

 

成人以降の責任を本人が担うのは当たり前ですが、子育ての話は、成人するまでの過程の話です。

どんな育て方をしても立派な人間に育つというなら、虐待も義務教育の拒否も、犯罪や戦争の負の連鎖も、何だって有りになってしまいます。

 

愛や教育を受けて育たなかった人達が、生きるためにより一層の努力を求められることを、私たちは知っているはずです。

 

全ての人が成功者になれるなら社会福祉は必要ありませんし、全ての人が自主規制で調和をとれるなら法律はいりません。

そうでないから、法律規範や社会規範が必要なんですよね。

 

人は間違うことがありますが、人というのは、親や子(経験者)のことです。

なぜ親だけが間違いを起こさないと思うのでしょうか?

社会が間違う時があったとしても、耳や心を閉ざせば終わりです。

自分の言葉を聞いてくれない相手の言葉なんて聞きませんから。

 

私は、共働きに賛成です。

でも同僚や子供に皺寄せがいく現在の構造には不満があります。

無責任な自由を先立たせるだけの主張は、自由で公平な社会作りの足枷にしかないらないと思います。