ノモア

no more, no less

「勘」を要求する人

ドライブナビとして使っていたスマフォにコードをさすことにしました。

 

スマフォの持ち主Aさんは、「右、右ね、右」と言いました。

 

でも、私はどちらに対して右なのか分かりませんでした。

黒いスマフォを横向きに使っていて、暗がりで天地が分からなかったのです。

 

指をさしながら「こっち?」と聞くと、Aさんは「違う、右、右」と言います。

今度は逆側をさして「こっち?」と聞きましたが、「だから、右。右、右、右、右」と言います。

 

「右」という言葉を重ねる度に、Aさんの声は大きくなっていきました。

 

最後に、スマフォ本体に対して頭にあたる部分を指して、

「上?」と聞くと、「そう、そこ。右ね」。

 

私は本体に対して「右」と思っていて、Aさんは向きに対して「右」と言っていたわけです。

 

これ自体はコントみたいな話で、右の連呼に吹き出しそうでしたが、Aさんは私の勘の悪さにムッとしていました。

 

でも、ムッとするほど賢いのであれば、一度「右」といって通じなかった時点で、「向かって右端」等と言葉を変えて言えばいいんですよね。

 

「右」以外の言葉を使ってはいけない呪いにかかっているなら仕方がありませんが、言葉を変える方が連呼するよりずっと賢く指示ができます。

 

この行き違いは、どちらかというと、Aさんの指示・説明が下手で起こったのだと思います。

正解を知っているのは指示する側だけですからね。

 

自称「勘」がいい人というのは、こんな風に人に伝える能力が低いことが多いです。

しかし、理解できない相手が悪いと解釈するので、自己評価は高くなります。

 

こういった行き違いは会社等でもあって、「報連相」の必要性と実用性に大きな溝を作ります。

 

勘とローカル語

学生の頃、「チョベリグ」などの短縮語が流行りだしました。

「女子高生の中で流行している言葉」として取り上げられていましたが、大抵はすごく狭い範囲で使われている言葉で、女子高生もメディアから情報を仕入れていました。

 

ネットスラングも業界用語も同じですが、それが通じるかどうかは、その言葉が使われる環境で生きているかどうかの差でしかありません。

高校生が各企業の社内用語を全て知っているわけがありませんし、逆も同じです。

 

でも狭い言葉を使っている人達は、なぜか優越感を持っています。

不思議ですよね。能力の証明になど成り得ないのに。

逆はあるかもしれませんが。

 

勘がいい人っていますが、基本的には、その環境に慣れている人のことです。

頭の回転がはやいと評判の人も、違う環境では単に失敗の多い人だったりします。

ずっと評価が高いままで変わらないということは、あまり居場所を変えていないということであり、経験値が低いということです。

 

勘の良い人や頭の回転がはやい人は持て囃されることが多いですが、実は知識量に反比例するものではないかと思っています。

知識量が多いほど答えは曖昧になっていくからです。

 

世の中には、器用な人や世渡り上手な人もいます。

それもだいたい同じで、どこの環境にいっても上手くやれる人はそういません。

もしくは、自分を評価してくれそうな人としか付き合わないか、です。

 

うちの妹は友達が多くて、海外に渡った後も直ぐに友達ができ、現在もいい環境で生活しているようです。

親はそれを『誰とでも仲良くなれる特技』と捉えていて、彼女を褒めます。

でも、実際は全ての人が彼女を好きなわけではないでしょう。

彼女の特技は、不要なものを無視することであって、全ての人に愛されることではないのだと思います。

 

人の能力というのは、常にそういった側面的なものなんだと思います。

 

憧れのツーカー

同級生や同僚は限られた範囲で毎日顔を合わせる人達です。

ですから、ツーカーになりやすい。

 

昔、Aさんが「頭の回転がはやい男がいてさ」と同僚を褒めていたことがあります。

内容は社内ネタの冗談だったと思いますが、同僚さんは一を聞いて十を理解したらしく、あの人は凄い!となったみたいです。

確かにそういう人っていますよね。

 

でも、これもやはり限られた情報をやりとりしている間柄だから可能なことです。

どんなにクレバーであっても、ブラジルで生まれ育った人に言ったって通じません。

 

若い頃はツーカーや以心伝心に憧れたりするものです。

頭の回転がはやいと地頭力がいいように感じるからかもしれません。

そして、その能力を計る方法が「どれだけ言葉少なに伝えるか」なわけです。

 

日本には「男性は口数が少ない方がいい」「喋り過ぎは無粋」なんて感覚がある気がしますが、だからなのか、男性の方が拘りを持っている人が多いように感じます。

 

でも本当に必要なのは速さより正確さであり、良し悪しは内容次第です。

理解できるというだけでは、自己肯定程度の意味しかありません。

 

大人になって気づいたのは、若者が選ぶものは、簡単に取り入れることができるものだということです。

 

複雑なものを処理しきれないのが若さなのかもしれませんが、大人は理解していないといけない部分ではないかと思います。

人は人になっていくので、フレッシュ至上主義だけでは足りません。

 

実際、言葉を端折るのは簡単です。

「アレ」「ソレ」「へー」「ふーん」「ウける」「ヤバい」

正確に伝えることの方が何百倍も難しいです。

 

その難しさの中には、道徳や思いやりといった伝達そのもの以外の要素も含まれますし、「伝えない方がいい」という選択も含まれています。

 

なにが正解かは相手や状況次第で変わります。

結果が出てみないと分からないところがあり、言葉を端折ることが正解の場面だってあるわけです。

 

コミュ力というのは、そういう状況判断能力のことを指すのだと思います。

何をもって正解ということはなく、その場面において最適な方法を選べることが大事で、それを「論理」というのですよね。

 

では、論理力を身に着けるにはどうしたらいいかといえば、まずは過信しないことなのだろうと思います。

過信とは過ちのことですから。