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ノモア

no more, no less

「最近の若者は」ではなく

社会

よく海へ行きますが、夏になると、ナンパと日焼けが目的の若者が急増します。

なぜ海に入らない人達がわざわざ汚れに来るのかといえば、露出できるからです。

露出の多さは男女の出会いにおいて重要です。

 

若者といっても大半はタトゥーを入れたDQN寄りの人達で、大人からみれば、その様子や会話内容は少々滑稽です。

 

たとえば、人で溢れる砂浜にやってきた男子グループが、

「すげー!水着なんて下着と一緒だし!ほぼ裸だろ!」

といいながら横を通り過ぎていきました。

 

別な女子グループは、砂浜についてから1時間ほど化粧直しをしていました。

 

大人は思うわけです。

「帰りにシャワー浴びてまたメイクし直すなんて面倒くさくない?化粧が崩れない場所でナンパ待ちした方がよさそうなのに」

なんて。

 

余計なお世話なんですけどね。

彼女達は海へは入りませんから、私よりずっとエコかもしれません。

女性の多くが日々ダイエットに勤しんでいるので、頑張った成果を披露する場が欲しいという気持ちも分からなくもありません。

SNSに水着写真の1枚でも載せたいのでしょう。わかります、わかります。

 

夏はそういう人達ばかりになるので、実際はそれほど気になりません。

私のようなウェットスーツ組は端へ追いやられますが、子供達が増えて、楽しそうにしている姿をみているだけで和みます。

年々、海へ来る人は少なくなっているようですけどね。

危ないし、汚れるし、日焼けするし、荷物は重いしで、いいことありませんからね。

 

それよりも、気になっていることがあります。

 

あるファミレスで、若い女性2人組が、

左子「○○あるんだってー」右子「ヤバいね」左子「ヤバい」

という話をしていました。

 

気になったのは、その「ヤバい」の後に会話がないことです。

 

砂浜で化粧をしていた女子グループも、モデル・タレント並みの美人だったので気にしていましたが、ほとんど会話がありませんでした。

到着して、メイクを直してから写真を撮って(おそらく投稿して)、そこら辺をフラフラ歩きはじめましたが、その間、ほとんど会話がありませんでした。

 

この2つは例であって、同性同士になると言葉数が減る傾向は女性の方が顕著です。

 

一般的には女性はお喋りってイメージがありますよね。

そういう人もいますが、そうでないケースもけっこうあります。

 

どういうケースでそうなるのかというと、目的が人といることではない時です。

 

ファミレスで会った2人組は食事が目当てで、砂浜の女子グループはナンパと写真撮影が目当てです。

要は、一緒にいるのは誰でもいいんですよね。

だから会話がない。

 

食事やナンパぐらい一人でウロつけよと思うかもしれませんが、ファミレスを1人で利用することに抵抗を感じる女性は少なくありませんし、ナンパは男性側も集団で行っていることが多いので、女性側も複数人でいる方が声をかけてもらいやすいです。

 

彼女達が目的を果たすには、誰でもいいけど誰か一緒にいてくれないと難しいわけです。

 

一方、男性はというと。

 

ある時、電車にサラリーマン風の二人組が乗っていました。

ひとりが仕事の愚痴を話していましたが、もう一人は全く返事をしませんでした。

この人達はこれで成立しているのか!?すごいなーと思いました。

 

一方が相槌を打たないのは、内容が愚痴だからではありません。

以後、他の男性方も気にしていますが、男性は相槌や返事をしない人が多いです。

 

水着を下着みたいなものだと言っていた男子グループも、はしゃいでいたのでは1~2人で、後は無反応でした。

 

でも、このことを男性に話しても、「いや~それはないよ。たまたまじゃない?」と誰も納得しません。

男性達は、自分が相槌や返事をしていないことに気づいていないわけです。

 

何がいいたいかというと、

しっかり「会話」をする機会って少ないかもなって思うのです。

 

そのことが何にどう影響するかというと、

イベント(新たしい話題)を求めるという方向に動くんじゃないかと思うんです。

 

会話とは言葉のやりとりですから、文章におこすと長文になります。

長文で語れるほど興味のあるものは限られているので、人と交流をはかるためには、短文で伝わるキャッチーな出来事が数必要になるような気がします。

 

「あれ知ってる?」「ああ、あれね~」という点的なやりとりが続いていくことを繋がりとしているのはないか、ということです。

 

それが良いことか悪いことかはわかりませんが、刺激は過剰化しやすいですし、過剰化すると壊れやすくなる気がしています。

 

TVもWEBも電話も、漫画も小説も映画も、なくたって人間は生きていけます。

お笑い芸人がいなくなっても笑顔は消えませんし、劇的でなくとも教養を身に着けることはできます。

でも、一旦ありきの世界になってしまうと、無いとしんどくなくなります。

 

人間は順応性が高いので、しばらくすればどんな環境にも慣れるでしょうが、点の大きさを揃えていくって難しいと思うんですよね。

 

どこかで少し大き目の点ができると、次はその刺激より大きな点を求めます。

200kmの旅行をしたら、次は300km先へ行きたくなるのが、人間の性というか。

 

昔は「ゲレンデの恋は冷めやすい」「夏の恋は短命」などといいましたが、これも実は点の大きさの問題なのかもしれません。

 

イベント発生時に出あうと、出あいの瞬間が一番大きな点になり、以後は小さくなっていきます。

どんなサイズの点であろうが、点が続いてさえいけばいいのでしょうが、その刺激落差に慣れるまで辛抱が必要です。

 

これが友達の紹介などで会った人達であれば、同じくらいの点を継続させていくことができるので、長寿になりやすいのではないかと思ったりします。

 

ただいずれにしても、点より線の方が優れているだろうなとは思います。

点の連なりは線の代用ですから。

 

なんというか、私は「会話」をしたいです。

案外、難しい望みなのかもしれませんけどね。