「性を解放すれば、性犯罪はなくなる」、そういう主張をする人がいます。
きっと、その人達にとって(人間の)欲望の頂点は「性」なのでしょう。
性犯罪の98%は男性が加害者です。
その男性達の性欲は、背徳感やタブーが源になっていることが多いです。
ですから、「タブーを失くして犯罪欲求をなくそう」と言いたくなる気持ちは、分からなくもありません。
でもそれは、人間の欲望の頂点が「性」だったらの話です。
内戦が行われている国では、女性は強姦された後、酷い虐待を受けます。
性奴隷として拉致されたら、元には戻らない身体にされてしまうこともあります。
日本でも、女性を誘拐した後、性的暴力から暴力へ移行するケースがありますよね。
特定の性癖や残虐性を持った人達だけがそうなるのではなく、条件が揃えば、犯罪はエスカレートしていきます。
性欲に限らず、欲望というのは、10段階でいうところの5が叶ったら次は6を求めるようになります。10まで行っても、11が生まれます。
タブーが許されれば、新たなタブーを求めます。この繰り返しです。
「私は欲望の制御ができる。善悪の判断くらいつく」
そう訴える人もいますが、それができるなら現状の中で出来ることをしますよね。
それに、もし自分を制御できたとしても、できない人が必ずいます。
法律は、自主規制できない人の為にありますから、自主規制できる人が、そこまでの規制は必要ないと言っても意味がありません。
おそらく、現時点では、背徳欲望を解消する方法はありません。
ただ、犯罪をなくすことはできなくても、質を軽減化することは可能です。
先ほどの10段階でいうと、2や3といった早い段階に強い規制をかければいいのです。
強姦は、昭和39年に戦後最多6857件になりました。
現在は、強制わいせつと強姦が入れ替わっているような状態です。
強制わいせつは、平成15年に戦後最多1万29件となった後、緩やかに減少しましたが、再び増加傾向に転じており、認知件数は7263件となっています。
昭和39年時点の強姦数よりも、現在の強制わいせつ数は多いです。
ちなみに、痴漢は大半が「迷惑防止条例違反」になります。
ストーカーや配偶者DV、セクハラなどを含めると、約9万件くらいあります。
多くても10人に1しか親告しないので、本当は数十万件の被害があるかもしれません。
強姦数が減って、強制わいせつ数が増えた背景には、規制強化があります。
こちらの記事では、2008年「携帯のフィルタリング」が開始されてから犯罪数が増えた、としていますが、SBからiPhoneが発売された時期でもあります。
「携帯のフィルタリング」とは関係なく、モバイルネットがより身近になったから犯罪が増えた、と考える方が自然です。
その場合、意味あいは主張と全く逆になります。
また、1969年(S44)ポルノ普及で犯罪数が下がったとしていますが、その前に第一次ベビーブームがあり、「団塊の世代」の成長と共に犯罪数が増減した可能性もあります。
また、1996年(H8)も、第二次ベビーブームの「団塊ジュニア世代」が若者でした。
強制わいせつが戦後最多となる2003年(H15)に向けて犯罪数が増加します。
データの意味は、視点によって変わります 。
犯罪の増減は、経済問題や流行など色んな要素が影響して起こりますから、原因を特定するのは難しいです。
でも、様々な規制強化が実施されるなか、強姦が強制わいせつへシフトしていることは注目すべき点だと思います。
※交通機関と痴漢の関係についてのまとめ
性を解放しても性犯罪はなくならない
「性産業がなくなれば性犯罪が増える」、といった主張をする人もいます。
でも、好景気の時も不景気の時も、性産業はずっと元気でした。
それでも相変わらず性犯罪は起こっています。
売春が合法管理化されている国でも、無修正アダルトの国でも、性犯罪はあります。
性産業の存在は、性犯罪の抑止にはならないのです。
問題は、助長することがあるかどうかです。
最近は児ポ法の二次規制について擁護意見も強まっていますが、アダルトコンテンツが何も影響を及ぼさないなんてことはありません。
私達は、宣伝の有用性を知っています。
だから、CMやチラシ等に多額の投資をします。
街中からネオンが消えたら、ファッション誌が消えたら、アドセンスが消えたら、今ほどの購買意欲は生まれません。
人の目に触れる機会を増やして人の欲望をかきたてる、そういった一連の広告作用については、疑う余地がありません。
当然、そういった作用は、宣伝以外でも同様に働きます。
アダルトコンテンツだって同じです。
身近であるほど、欲望をかきたてられます。
これは有りきとして考えるべき作用で、踏まえるならば道は2つです。
1つは、全てを禁止して性犯罪への敷居を上げる方法です。
1や2の段階から規制をするということですね。
「犯罪を全てなくすことはできない」という前提に立つのなら、この方法は質を軽減化させる意味で有用だと思います。
こちらの道を選ぶなら厳罰化して徹底して禁止した方がいいでしょうね。
たとえば、成人向けであろうと性表現の強いものは全て禁止するとか。
自主規制できる人にとっては、娯楽を取り上げられるのは面白くないでしょうが、この問題について、当事者でない男性は少ないと思います。
なぜなら、一度でもAVなどを真似た性行為・自慰行為をしたことがあるなら「影響を受けて、実践してしまった人」ということになるからです。
問題は、その行為の程度や是非ではなく、影響が行動を生んでいるという点です。
もう1つは、米国式の内容規制です。
自由権利を最大限まで尊重しつつも、悪影響を及ぼす部分については規制をするという方法です。
民主主義的な解決策だと思いますが、過去の作品は消えませんし、ネット規制は政策でしか行えません。
これだけ一般化されたネットに利用規制をかけるとなると、大騒ぎになるだろうと思います。
インフラはともかく、ネット自体が日本国民のものといえるか微妙な気がしますが、少なからず、公権力を監視するという体をとった市民メディアは黙っていませんよね。
児ポ擁護派は、この両方を拒否して「悪影響なんてない」と言っています。
でも、宣伝は人を動かすのに、アダルトは無影響なんていうのは、詭弁です。
日常的に触れていれば感化されるのは自然であり、影響はある、という大前提に立って対策を考えていかなければいけません。
「児童を対象とする性癖は、漫画などが生まれるずっと昔からある」
というのもよく聞く考察ですが、それはマイノリティの話ですよね。
一定数を越えた現在にも適応できる意見なのか、大変微妙なところです。
AVを考えると分かると思いますが、儲かるとわかれば参入業者が増えます。
それに伴い、作品もAV女優も増えます。
競争が激化しますから、差別化をはかるために内容が個性的になっていきます。
その中には、過激化していくものもあります。
結果、昔は裸を見せるだけでも商売になっていたところも、内容を過激化せざるを得なくなっていきます。
どんなに個々人が自制心を強くしても、競争が激しくなれば、提供側が一線を越えてしまうのです。
過去と今では分母が違います。
児童性愛者という括りでみれば、3も7も同じですが、需要度や内容が全く違います。
マイノリティは必ず生まれますが、現在は溢れるくらい児童性愛コンテンツがあって、マジョリティとまでは言えないまでも、少数派とは言い難い状況です。
たとえば宗教がそうであるように、日々偏った概念に触れていれば、大なり小なり感化されます。
どれだけ偏った情報に浸って生きたら「影響がある」といえるでしょうか?
人の思想を操るのに、そう多くの時間は必要ありませんよね。
2時間の講演を聞いただけで<生まれ変わってしまう人>だっているわけですから。
規制は必要
私は、犯罪も性描写もそれ自体が問題であるとは思っていません。
たとえば、大半のミステリーは最終的に悪が負けますから、そこまでの描写はむしろ悪の滑稽さを描いているわけですし、そういう終わり方をしない作品はやはり読後感が悪いです。
問題は犯罪が美化されることであり、それにはやはり問題があると思います。
強姦犯が幸せに暮らす物語なんて、害にはなっても善にはならないわけで、それを認める意味がありませんよね。
児ポに限らず、犯罪はきちんと悪いこととして扱われるべきで、そういった規制はあっていいと思います。
「犯罪」についてですから、その規制がダメな理由がありません。
ただ、それでいうと児童に対する猥褻的な内容は全てアウトになります。
児ポ擁護派は、「犯罪誘発などしない」と言っているわけですから、逆もしかりで、規制しても特別な影響はないということですよね。
だったら、犯罪的な内容は規制されていいのではないかと思います。
クラブも同じですが、事実として問題はあるわけです。
車でいうとブレーキが故障している状態です。
ブレーキを直せば運転できるように、問題を取り除けばいいだけです。
ただ、その問題そのものが魅力であり、取り除けない要素なのだとしたら、それ自体を禁止するしかありません。