ノモア

no more, no less

公園と子供

児童公園が老人公園になっている件 - ままのおと

 

この話にウーンと思ったので、ちょっと書きます。

 

話をまとめると、

 

時間潰しに息子と公園に行くと、サッカー・野球禁止となっているのに、低学年らしき子供達がサッカーをして遊んでいた。

ボール遊びできる公園は別にあるが、そこは上級生達が使っていて、低学年の子達は使用できない事情を知っていたので、最初は多めにみていた。

でも、子供達のボール遊びはヒートアップしていき、ブランコに乗っている息子の横をボールがかすめたので、やむなく注意をした。

でも、悪いのはその子供達ではなく、ボール遊びできる公園が少ないこと。

このまま禁止事項が増えていけば、児童公園は老人公園になってしまう。

 

という感じですね。

 

まず、なぜ低学年の子達がそこでボール遊びをしていられたかといえば、禁止されている公園だからですよね。

ボール遊びOKの公園は上級生達が使っているので、低学年の子達は、禁止されている公園でしかボール遊びができないわけです。

 

当然、その禁止されている公園でもボール遊びが可能になれば、他の上級生や大人達が使いますから、低学年の子達は更にボール遊びがしにくくなります。

 

低学年の子達にしてみれば、禁止されている公園でしかボール遊びはできないので、むしろ、禁止事項の恩恵を受けているわけです。

 

なのに、ブログ主は注意をしました。

その子達からボールをとりあげたのは、公園の禁止事項ではなく、ブログ主だということです。

 

ブログ主は、自分の息子に危害が加わりそうになるまでは注意をしませんでした。

ということは、他者への心配等は注意した理由に含まれていないということです。

 

それ、本当に注意する必要があったのでしょうか?

単なる時間潰しですから、危険だと思うなら場所を移動すればよかっただけではないでしょうか。

 

低学年の子達はそこでしかボール遊びができませんが、時間潰しは他でもできるので、大人であるブログ主が移動すれば解決していたはずです。

 

自分の注意は正当だけど(仕方がない)、他者の苦情は「不寛容だ」と言っているわけです。

それぞれに迷惑だと感じる事柄や程度は違います。

ブログ主の主観だけを基準にルールを作るわけにはいきませんよね。

 

そもそも、注意しているわけですから、不寛容なのは自分ですよね。

 

私は、公園は子供達が遊べる場であってほしいと思っています。

そこで起こる少々の喧嘩や縄張り争いだって、昔からあるもので、だからどうという事はありません。

 

上級生達を注意して仲良く使わせれば解決するでしょうかね?

他に遊べる場所がないからそこで遊んでいるとしたら、低学年に譲れば上級生達はそれだけ遊ぶ時間が少なくなります。

 

だからといって、これだけ人口も住宅も過密の日本で、住宅地に運動場付きの公園を増やしていくのは難しいです。

運動はできないけど、憩いの場や休憩所として使える小さな公園を増やしていくのがせいぜいだと思います。

だから今は児童公園ではなく街区公園としての意味合いの方が強いですよね。

 

そう考えると、世代交代で場所を利用していくのは有りではないかと思います。

それこそ、小さい子のボール遊びくらいは、禁止されている公園で許してあげればいいのではないかと。

その建て前があるだけで上級生や大人は使えなくなって、小さい子が使えるようになるのですから、良いじゃないですか。

 

あと、

近隣住民は迷惑してるんだよーってのももちろん分かります。

でも禁止事項多すぎない?

そりゃ集まるのは老人ばかりになるよね。

児童公園を老人公園に改名しろよって状態ですね。

その老人達は「最近の子供は外で遊ばないのねー、私たちの頃には…」なんて言っているかもしれません。

禁止事項のなかった頃に遊んでた人が何言ってんだこの状況見ろよって話ですよ。

このくだりは酷いと思います。 

 

なぜ老人が集う公園ではダメなのか全く理解できませんが、規則を守れる人が使うだけですから、年齢なんて関係ありません。

 

10代や30代の人だって、本を読んだり、休憩をしに寄るかもしれません。

実際、若い人も公園で見かけます。

スポーツが禁止になったからといって、老人ばかりになるというのは飛躍し過ぎですし、なったからといって何なのでしょうか。

 

子供がボール遊びできる場所が無いことを危惧する気持ちは分かりますが、老人が公園に増えすぎて子供が遊べなくなったって話ではありませんから、なぜ突然老人をdisっているのか謎すぎます。

この話に老人は関係ありません。

 

公園が老人だらけになることよりも、そういう差別的な思想の人が子育てをしていることの方が怖いです。

 

不寛容さ

社会の不寛容さにケッと思うことはあります。 

でも、大抵の禁止事項には被害者がいるわけです。

息子さんにボールが飛んできたのがブログ主さんにとってのアウトラインであるように、人によってそのラインは違います。

そして、中にはそれ相当の被害を受けている人もいるのではないかと思います。

 

被害者がいる場合は、救済が優先されるべきです。

改善が先なので、全て禁止とする必要があるかどうかは状況によりけりですが、子供のボール遊びや浜辺のドラッグパーティよりも優先される問題は存在します。

 

それと、子供は社会で育成すべきだし保護すべきだと思っています。

でもそれは子供のことです。

親は弱者ではありませんよね。

道行く人達と同じ大人のひとりであり、子供を保護する立場にあります。

 

大人は喫茶店で時間潰しすることもできるし、ジムで汗を流すこともできます。

早朝ジョギングすることもできるし、もっと小さな公園の目星をつけておくこともできます。

大人にはその判断ができます。

 

ブログ主は、自分の都合のために子供達を注意したわけです。

 

サッカーをして遊ぶ子達に行った注意こそが「規制」であり、いずれ明文化された「規制」になっていきます。

客観的にみれば、「規制」賛同者ということになります。

でも、そのことに無自覚なまま、関係の無い老人批判まで行っています。

 

寛容とは許容することであって、責める相手を変えることではありません。

ブログ主は結局、何も許してはいません。

そういうのを「不寛容」というのだと思います。

 

ただ、もしこの話が、「大人はちゃんと注意して教えてやるべき」という主張だったとしたら、それはそれで一理あると思っていたと思います。

あまりガミガミしているのは見ていて気持ち良いものではありませんが、子供もいずれは大人になっていくので、ルールを覚えていくのも必要なことですからね。

適度に注意されること自体はあった方がいいのではないかと思います。

 

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