「私」の問題と「構造」の問題 - masudamasterの日記
不遇の扱いを受けてきた男性が、「男性」という大きな括りで、女性達からポルノ消費者として責めたてられるのは問題である、という話のようです。
要は、「女性」で良い思いをしてこなかったんだから、女性を性処理道具としても扱ってもいいだろ、という主張ですね。
差別的な内容は、私的感情で否定できる
他国で、日本人を差別にする創作物が流行っていたら、気分良くありませんよね。
「そこに描かれている日本人は自分ではないから、別に何とも思わない」
と割り切れる人もいるかもしれませんが、創作物の影響を危惧する人がいても当然だと思います。
女性は、常にこの例の「日本人」の立場に置かれています。
漫画でも、ポルノでも、AVでも、そこに描かれているのは「私」ではありません。
でも、「私」も含まれています。
そして、割り切れるほど影響力が弱いわけでもありません。
たとえば、オーラルセックスを、オリジナルの欲望として持って生まれた人はどのくらいいるでしょうか?
一般的には、知人や情報メディア、漫画やAV等、外部から仕入れた知識ですよね。
フェチも、持って生まれた性癖ではなく、文化の影響を受けて身につけた感覚です。
情報は、実社会に影響を与えます。
宣伝や看板が人に与える効果を考えれば分かりますよね。
その中で、ポルノの影響だけ無効化する方が難しいです。
そして、性的コンテンツの中には女性が望まない内容のものも多くあります。
それでも女性達は、ある程度までは寛容に許してきたわけです。
なのに、冒頭のブログ筆者は、私的に楽しむだけでは不十分だから公言しても良いことにしてほしい、と更なる要求をしてきています。
これは、寛容に許してきたことがアダとなったケースだと考えられます。
最初からもっと厳しく規制していれば、ひそかな楽しみを許すかどうか考えるだけで済んだのでしょうが、その存在自体を大目にみてきたことにより、要求がエスカレートしているわけです。
人は許せばつけ上がり、事態が悪化していくことのがあります。
性風俗や性的コンテンツは無くていい
少し前に、性的ライブ動画配信を強いられていた女性が、客にSOSを出して助けてもらったという事件がありましたが、人身売買も含め、性風俗はその存在自体が犯罪を助長します。
それがビジネスとして成立している以上、違法行為や人身売買はなくなりません。
しかも、任意の従事者が多いほど、犯罪が「森に隠された木の葉」状態になってしまい、選別が難しくなります。
「包丁で事件を起こす人がいるからといって、包丁を禁止することはできない」
という反論もありますが、2点間違いがあります。
1点は、包丁も持ち歩けば銃刀法違反になります。
家で料理に使う場合は違反にはなりませんが、外に持ち出せばアウトです。
表現も同じで、差別も搾取嗜好も、個人思想の内は罰することができません。
でも、公に向けて表現すれば、アウトです。
もう1点は、包丁には存在意義があるけれど、性的コンテンツ等にはないことです。
今のところ、刃物やその類似品は生活必需品ですが、性風俗や性的コンテンツは違います。
データのミカタ:児童が巻き込まれる犯罪は減っているのか? - ノモア
性犯罪を特定年齢層に分解して推移をみると、性犯罪は人口割合に伴った現象であることが分かります。
それは、性産業には性犯罪の抑止効果がないことを意味しています。
また、性風俗従事者であれば、性犯罪者から被害を受けても良いなんてことはありません。
中には、「男性には性欲がある。それは変えられないことだ」と言う人もいますが、それとこれとは別です。
性欲と性的コンテンツは、セットで存在するものではないからです。
性処理が、どうしても相手を必要とするものであるなら、性風俗の存在も認めざるを得ない部分はあると思います。
でも、基本的に性処理は一人で行えます。
自己処理用に性的コンテンツが必要かといえば、それも必要ありません。
性衝動が起きたら処理をすればいいだけで、性的コンテンツで性衝動を高めなくてはいけない理由がないからです。
男性に限らず性欲は存在しますが、だから性風俗や性的コンテンツも必要である、と結びつけることはできないのです。
あとは自由権利の範疇かどうかとなりますが、その場合、公共の福祉や風紀との兼ね合いになりますから、児童ポルノは認められません。
また、被害者側に含まれる立場の人達から反対の声が多ければ、それを無視することもできません。
日本人や外国人を差別するような創作物は、なくなるのがベストです。
それと同じで、女性の性を消費する産業や創作物も、なくなるのがベストです。
受け止め方云々、望む人もいるしといった妥協案は、苦肉の策であり、ベストはそれ自体がなくなることです。
まずはそういった前提を理解することが大事です。
そうでないと、どこまでが許される主張なのか見誤りやすくなります。
「非モテのみ」が可能なら
ただ、非人道的でない内容に限っていえば、個人的には、ひそかな楽しみとして少しくらいならあっても良いかなと思っています。
なぜかというと、先ほど性風俗等には性犯罪抑止効果がないと書きましたが、それは同時に、性的コンテンツ等と性犯罪数に因果関係がないことも意味しています。
日本の場合は、男性人口の一定数が常に性犯罪者になるということであり、性風俗等があっても性犯罪は減らないけど、性的コンテンツが増えても犯罪率は変わりません。
しかし、パートナーがいる人は事情が違います。
相手の許可をとらずに利用すれば、どんな内容であれ不道徳な存在になります。
おっぱい募金も同じですが、パートナーのいる人を弾けない仕組みはダメです。
アダルト業界の人達が本気でチャリティをしたいなら、その業界で働く人達や直接的な消費者に募金を募ればいいのです。
業界大手の役員クラスだと、寝ていても年に何億円何十億円と個人資産が増えていくんですよ。
金儲けに飽きたという人までいます。
500万円足らずの募金のせいで、自腹切らなくてよくなったわけですから、無意味どころか大幅なマイナスです。
「やらないよりはマシ」とは限らないのです。
おっぱい募金は、簡易的な性風俗で客引きしているだけのAV業界の宣伝です。
そんなものに、パートナーに同意を得ていない人が参加しているのは問題です。
許可を得ていない場合は誰かを傷つけることになるので、商売だろうが何だろうが認めてはいけません。
ここでいう「ちょっとぐらい」は、「ちょっとぐらい、誰かを傷つけても」という意味であり、たいへん非人道的な意見です。
私達は支えあって生きていますが、迷惑をかけたり、傷つけたりしないように努めても生まれてしまう問題を、許しあったり、助け合ったりしているのであって、誰に迷惑等をかけても良いとなっているわけではありません。
非モテの独身者が、性風俗や性的コンテンツを必要とするのは、まだ分かります。
でもパートナーがいる人は、たとえその関係の中では満足を得られないとしても、相手の同意なしに性的消費者になってはいけません。
そういう契約関係の中にいるわけですから、もしどうしても性風俗や性的コンテンツを利用したいのなら、互いが納得いく方法で別れてから利用しなくてはいけません。
それらは、女性を虐げたり、我慢させる機会を生み出しています。
パートナーのいる人を弾けないなら、その存在自体をなくしていくしかありません。
非モテで性風俗や性的コンテンツを必要としている人は、フェミニストではなく、パートナーのいる人達に訴えかけましょう。
その人達のせいで、風当たりが強いのですから。
ただそれでも、気持ち悪いとは言われます。
だって、不快な創作物に「私」も含まれていますから。
外国人が語る「日本人」から外れる日本人がいないように、「女性」から外れる女性もいません。
女性の特性を消費している限り、撲滅運動は続きます。
「女性も男性並みに性を解放できるようにしたらいい」
と考える人もいるかもしれませんが、その場合、男女の性的リスクは自然には埋まりませんので、立場を同等にするには男性に対する罰則強化が必要になります。
それに、男女平等を考える時、女性が男性並みになること(男性化)で権利バランスを保とうという発想には問題があります。
男性が努力して女性の価値観に合せていくのでも良いわけで、女性が男性に合せていく必要はありません。
男性が欲望を抑えるだけで解決する問題は何十万と存在します。
なぜ男性は変わらない、努力をしないという前提なのでしょう。
なぜ男性の欲望だけが、人間の「本能」なのでしょう。
相反する欲求もまた同列に扱われるべきです。
性風俗や性的コンテンツの利用者にとって、いま以上の天国はありません。
正常化していくとしたら、全て無くしていくか、男性に対する罰則を強化していくか、どちらかを選択しなければいけなくなります。